沖縄発祥の武道『空手』の歴史を紹介!世界が魅了される空手の伝統まとめ

柔道や合気道、剣道と同様に、日本発祥の武道の1つである空手。

空手はもともと「唐手」と表記されており、そのことから中国の古武術などが発祥なのではないかと疑問に思う方も多いのではないでしょうか。

また柔道のように流派が統一されておらず、多くの流派があり、それぞれの流派で発展経路も異なることが複雑な印象をあたえています。

この記事では空手の創始から現代までの系譜を空手有段者である筆者が詳しく紹介していきます。

どのように生まれ、どのように世界に広がったかを知り、流派の垣根を超えた空手の魅力を感じていただければ幸いです。

この記事を書いた人

kazu

空手道・糸東流糸洲会有段者、好きな型はバッサイダイです。
現在はボクシングに取り組んでおり、自分の経験を踏まえた武道や格闘技に関する情報を発信。
その他にも英語学習や美術に関する記事も制作しています。

空手発祥の歴史

出典:PR TIMES

空手は沖縄19世紀まで琉球王国に存在した護身術「手(てぃー)」と、中国武術が融合することで誕生したと言われています。

この空手の原型となった「手」ですが、現在は文献などがほとんど残っておらず、実際にどのような武術だったのかはっきりしていません。

この「手」は琉球王国の士族や、士(サムレー)と呼ばれた戦士の間でたしなまれていたようです。

「空手」という表記になったのも実は大正時代以降のことで、それ以前は沖縄の読み方で「唐手(トゥーテー)」と呼ばれていました。

元々は士族や戦士が修練するための武術だった唐手が、沖縄でより一般的になるのは1905年のことです。

1879年のいわゆる「琉球処分」によって、琉球王国は沖縄県になります。

この沖縄県に設立された県立第一中学校および、沖縄師範学校の体育科目に唐手が採用され一般の人々にも広まっていきました。

こうして沖縄全土に広がった唐手ですが、発祥の経路は1つではありません。

現在まで影響を持つような唐手の源流は沖縄の中でも「首里」「那覇」「泊」の3つの地域でそれぞれ発展してきました。

これらの地域で発展した唐手は現在も「首里手」「那覇手」「泊手」として、その系統を継ぐ流派の中に残っています。

それぞれの地域での発展の流れを確認しておきましょう。

首里手(シュイディー)系

出典:日本空手道松濤会

首里は琉球王国の政治の中心地でした。

この首里を守る戦士達が鍛錬していた「手」に、首里手系唐手の創始者である佐久川寛賀が、中国で学んだ少林拳を融合させることで誕生したと言われています。

その後、武術の達人として名をはせた松村宗棍や、沖縄師範学校への唐手導入の立役者の1人でもある糸洲安恒が継承してきました。

糸洲安恒はその後の糸東流糸洲会を創始するなど、首里手の系譜は現在の空手にも残り続けています。

この首里手の系譜を継ぐ流派には、糸東流の他にも松濤館流や少林流があり、現代最も学ぶ人の多い空手の流派の1つでもあります。

那覇手(ナファディー)系

出典:国際剛柔流空手道連盟

現在、沖縄県の県庁所在地が置かれている那覇エリアは、琉球王朝時代から商業の中心地でした。

そのため中国からも多くの人がこの那覇の地に移住してきていたようです。

なかでも久米村は中国の福州からの移民が多く生活しており、現地の武術が沖縄古来の武術と融合して那覇手系の唐手が誕生したと言われています。

那覇手は元々門外不出の流派でしたが、那覇手の大家である東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)が自身の学んだ武術を人々に教えるようになり広がっていきました。

東恩納寛量は那覇手の大家から那覇手を学んだ後、中国福建省に渡航して武術を習得した人物です。

帰国後に中国武術と那覇地方の手を融合させ、現在の那覇手の原型を誕生させました。

現在那覇手の系譜にある流派には、剛柔流や東恩流、劉衛流などがあります。

泊手(トゥマイディー)系

出典:松林流空手道連盟長嶺空手道場

那覇に近い泊は、那覇同様に港が発展した商業都市でした。

泊港の近くには漂流者を収容するための宿舎があり、そこに宿泊してきた漂流者との交流から泊手系の唐手が誕生したと言われています。

このような独自の出自を持つ泊手系の唐手は、この地方の士達の間で継承されていました。

そんな泊手系の唐手を大成させたのが松茂良興作(まつもら こうさく)です。

松茂良は現在の泊手系の型の大半を完成させたと言われる人物で、泊手系の唐手を現在の形にまで昇華しました。

現在この泊手系の系譜にあるのが少林流です。

空手の発展~本州から海外へ~

沖縄の伝統的な武道として、地域ごとに独自の発展を遂げてきた唐手。

現在の空手は沖縄の伝統的な唐手の系譜を継ぐ沖縄空手の他に、本州で空手と柔術が融合してできた本州空手があります。

沖縄伝統の唐手が本州に広がるきっかけとなったのは、沖縄の師範学校で唐手を教えていた船越義珍が柔道の産みの親である嘉納治五郎に招待され講道館で演舞をしたことでした。

船越はのちに本州4大流派の1つであり、現在最も会員数の多い松濤館流を作り上げた人物です。

この船越の演舞に魅了されたのは嘉納だけでなく、そこにいた記者達にも大きな影響をあたえました。

このことがきっかけで船越に演舞や指導の依頼が舞い込むようになり、唐手は大学や陸軍士官学校などで定着していくようになります。

また唐手が本土に広まるタイミングで、それまで琉球語で「唐手(トゥーテー)」と言われていたものが、「カラテ」と読み替えられるようになりました。

海外への広がり

本州全土に空手が浸透して行くと同時に、海外へも少しずつ広がりをみせていくようになります。

空手を世界に広げていったのは、沖縄から海外へ移り住んだ日系の移民達でした。

1900年に沖縄からハワイへ移り住んだと言われる26人の沖縄県民から始まる移民は、現在世界各国で46万人以上いると言われています。

また第二次世界大戦が終結して日本が連合軍の占領下に入った時期に、日本に駐留していた軍人の中にも空手に魅了された人が沢山いました。

これらの軍人の中には日本の独立後に自国での空手の普及に尽力した人物もおり、世界で少しずつKARATE文化が定着していきます。

ハワイやグアム島でも空手は盛んなようで、私の道場にも定期的に海外から出稽古に来ている方がいました。

現在の空手道の状況

1964年の東京オリンピックを契機として、流派の垣根を超えた組織設立を目指し「全日本空手道連盟(JFK)」が設立されました。

現在この全日本空手道連盟の会員は8万人前後となっており、その他関係団体とも協力しながら大会の運営や開催を行っています。

全日本空手道連盟やその他団体の努力の成果もあり、2020年の東京オリンピックでは空手が正式競技として採用されました。

日本はみごと金・銀・銅、全てのメダルを1つずつ獲得。

空手は現在では世界194カ国に愛好者がいると言われ、競技人口は1.2億人にのぼるともいわれています。

また昭和の後半に誕生したフルコンタクト空手も、競技人口を増やしてきており2013年には正式な空手競技として認定されました。

フルコンタクト空手の普及と共に、総合格闘技やK-1のようなプロ格闘技との関わりも強くなってきています。

その結果、空手からプロの格闘家に転身する選手も出てくるなど、その可能性は今後さらなる広がりをみせるでしょう。

私も空手からボクシングに転向しましたが、ジムには空手出身者が結構います。

空手は世界のKARATEとして広がり続けている

この記事では空手の歴史について紹介してきました。

空手の全ての流派は、沖縄発祥の唐手が源流となる武道ですが、現代では世界各国で広まり進化を続けています。

空手の愛好家が他の武道よりも圧倒的に多いことの1つに、型と組手それぞれで理論と実践を学べるということがあるでしょう。

組手での激しい動きができなくても、型をしっかり学ぶことで鍛錬できるので、誰でも始めやすい武道です。

また身体だけでなく、精神修養を重視するという点が、年齢や性別問わずこの武道に魅了されるポイントではないでしょうか。

全日本空手道連盟ができたことで、流派を超えた一応のまとまりはあるものの、やはり流派ごとの違いもあるのでその点に関しては下記の記事を参照してみてください。

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